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2008年1月に作成された記事

2008.01.24

豊かな家具(3)

iphoneのヒットの理由は、「ユーザーインターフェース」である(=使いやすい)であると分析する向きが多かったが、実は決してiphoneは使いやすいというものではないらしい。というところからの続き。


そして、iphoneのヒットの本質は実は、「iphoneが提供する『豊かな体験』にある」のではないか、という記事を見かけ、なるほどーと思った記憶がある。

曰く、ユーザーインターフェース(使いやすさ)は、さほど重視されるわけではなく、大事なのは全体的な「体験」であると。確かにその製品が魅力的な製品なら、多少使いづらくても使うだろう。つまり,製品を使った時に感じる楽しさや斬新さ,満足感などが、iphoneの魅力であり、注目を集める要因というのである。きっと、知的好奇心を満たす、「パズル」に近い感覚なのではないかとも思う。


「体験」というのは、英語の直訳であろうが、平たく言えば、「多少使いづらくても使っていたい」、「欠点はあるけど、この点があるので手放せない」、「持っていることが楽しい、うれしい」(あるいは自慢できる)というようなことであろうと理解している。

日本の家具メーカが、輸入家具にない「付加価値」をアピールし価格に転嫁するという路線を継続するとすれば、その「付加価値」とは何があるのか。と思うと、やはりそうした「豊かな体験」を実現するものではないだろうか。

ただ単に高品質、と言うことでも良いが、量産品にない「何か」。
その漠然とした何かが、そのメーカー(あるいはその木工家)で統一され、ある一定のイメージとして消費者に形成されたとき、それが「ブランド力」となるのではないだろうか。

繰り返すが、仮に、家具が本当に単なるコモディティあるいは工業製品ならば、それは「価格」と「機能」で語られるものでしかない。
それ以外に、消費者がそれ以外の「価値」を見出し、持っていることに満足感を覚え、「次もまたあのメーカ(あの人)から買おう」と思わせているとすれば、それは家具の「コモディティ」ではない一面があると言うことである。それはデザインかも知れないし、無垢の手触りかも知れないし、性能、例えば耐久性かも知れない。あるいは、神が宿るという細部の何かかも知れない。いずれにせよ、それがもしあるとすれば、流行に迎合することなく、かといって消費者の要求に目を背けるでもなく、確かなバランス感覚の上に確立される、そのメーカあるいはその人独自の「雰囲気」のようなものではないかと何となく考える次第である。


さて、iphoneの例に戻れば、iphoneの成功は、その前のipodのヒットが背景にあることに異論はないだろう。 即ち、「あのipodのappleが作るiphoneだったら間違いはないだろう」と。シロウトながらそういうのが「ブランド力」だと理解している。

個人的には、ipod+iTunesは、それまでの音楽の聴き方を圧倒的に変化させ、その聴き方の変化を広く普及したものだと思っている。と言うよりむしろ、徐々に変わりかけていた聴き方を、形として目に見える形で明確に固定させた、と思っている。そのため、それを欲していた顧客層がこぞって購入をしたのだと。

続く(かな)。

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2008.01.18

豊かな家具(2)

引き続き、エラソーなことを書いていますが、繰り返しますが、本業の方で同じような思いを持っているので、実は心の中では「家具」を何かと言い換えて書いています(笑)。

安価な輸入家具が氾濫している現状を、「消費者にもっと家具を見る「目」をを持って欲しい!」と消費者に原因を求めることも出来るだろう。しかし、一部の層を除いて、家具というのは既にコモディティ(日用品、必需品)であるという認識であると思うので、「まず価格ありき」なのは仕方がないことであろう。

価格で攻勢してくる競争相手と競争するには、当たり前な考え方だと、大略記の3点で網羅できよう。
(1)コンペティター(輸入家具)よりもさらに安くする。
(2)コンペティターがつくれない製品(家具)を提案する。
(3)コンペティターの製品で得られない品質、特性を提案する。

(1)は今はとりあえず置いておく。(2)は今具体的にアイデアがないが、例えば造作家具などはこれに当てはまり、今後も一定規模ながらも安泰であろうと推測される(デザインにこだわった住宅が増えているため)。造作以外の注文家具もここに当てはまるだろうが、造作以外の市場というのが、具体的には極めて小さい気はする。
(3)に活路を求めるとしたら、どのような提案が出来るであろうか。

-無垢材のテーブルを、四季を通して動く(反る)ことを称して、木は生きている、と言って売るか?
-ネジ・釘を使っていないことを称して、百年持つ家具、と言って売るか?(本当に100年持つのか)
-木を切り倒してそのまま使っていることを称して、エコロジーな家具、と言って売るか?
-機械でやった方が良いことまで手作業でやっていることを称して、手づくり家具、と言って売るか?(職人の顔写真を付けて(笑)。)

個人的には理解できない部分はあるが、いずれも、セールストークとしては十分だろうし、その是非はその商業的成功が証明することとなろう。
ただ、こと化学物質に関しては、最近特に化学物質に過敏な方がおられ、その症状は千差万別であると聞く。幸いにも私はその点何の苦労もしていないので、そのことについて軽々と触れることはしない。同じように、その売り文句を付けるとすれば、「何の影響もない」「安心」と言い切るためにはそれなりの覚悟と検証が必要だろう。

・・・

一方、同様にコモディティと化しているケータイ電話(あるいは音楽プレーヤー)にあって、そこそこのヒット商品となったものにアップル社のiphoneがある。(日本ではまだ「ケータイ」ではないですね。)
(コモディティと化していると考えているのは私だけかも知れない。私より10年ほど若い年代の人たちは、ケータイの機種のあれやこれやで小一時間はゆうに雑談ができるようであるから。)

当初、そのヒットの理由を「ユーザーインターフェース」である(=使いやすい)と分析する向きが多かった。しかしその後、客観的な指標で分析してみると、そうでもない、即ち決してiphoneは使いやすいというシロモノではない、ということのようだ。(私はiphoneに触ったことがなく、ネットの動画などを指をくわえてみているだけなので(笑)。)

続く。   しかし偉そうだな(笑)。。

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2008.01.10

豊かな家具

趣味のアマチュア木工家が心配するべきことでもなく、正直よけいなお世話だろうし、掘り下げも浅く笑止千万だろうが、一般消費者の視点と割り切って書く。
例によって、どこに行き着くかは今のところ決めていない(笑)。実は本業は全く異なるものの、同じような思いをしている。

国内の家具業界が元気がないと聞く。木材も高騰しているから、木を使う家具のメーカは頭の痛いところだろう。但し本質的には従来通り、東南アジアや中国から安い家具が日本人の消費者の「目」にそこそこ合致するものが流入しており、国内で製造する原価では太刀打ちできないと言うことだと思う。

カントリーブームや北欧ブーム、あるいは手づくりへの回帰などのように家具自体が売れる商機はそこそこあって、国内メーカからもカントリー風、北欧風、手づくり風オイルフィニッシュ風家具などはタイミング良く市場にリリースされている。しかしながら、IKEAの進出に代表されるように「ホンモノの北欧製」の製品が、国産品より安く市場に提供されたりするので、そんなときは「日本製北欧風家具」より「北欧製北欧風家具」の方が売れるのはやむをえない。生産地のみならず、国内の消費に対しても国際競争が浸透しているということであろう。

IKEAの家具自体に疑問を呈する方もあろうが、「本物の家具」かどうかはともかく、「ホンモノの北欧製」であることは間違いないだろう。それとて、ワタシ自身はネットでしか見たことがなく、本当の生産国を確認したわけではない。北欧の会社が発売していると言うだけの意味で記している。(一般消費者の視点だから(笑)。)

消費者の観点に戻ると、とりわけ「モノ」について言えば、現代は、モノが潤沢にあり選択の幅もあるが、今一つ心を引きつけられるモノがない時代であるという思いは確かだろう。モノの「豊かさ」が、量の問題であった時代はずいぶん前に過ぎ、「質の時代」だと言われて久しい。言い過ぎかも知れないが客観的には、長い間そういわれ続けているのに、それに対する具体的なソリューションを模索し続けつつも、大部分の分野でそれが提示できていない、と言われても仕方がない。

外因を求めるならば、消費者が考える「質の高い生活」が実は模索中であり、刻々と変化しているのもその一因だろう。バブル期には表面的なブランド信仰やホンモノ指向が加速したと思えば、最近ではモノを粗末にしないエコロジーな暮らしへと意識が変化している。過去に、アメリカをメインにした西洋化、その後極端なエスニックなインテリアの傾倒を経験しつつ、現在は和への回帰を含め、価値観が従来にも増して多様化している。

つまるところ、ずっと作り手側は
  「安価な輸入品については値段で勝負してもらうことにして、国産品は「質」で勝負する!」
  (・・・だから、値段は下げないし、ウチはこのままで大丈夫!)
なんて言い続けているが、もちろんそれはそれで正しいのだが、
  「じゃあ「質」って何なの?」、とか、
  「その「質」の違いって、消費者に価格の差を納得してもらえるものなの?」
と質問された時に、答えられる準備があるか?あるいは、それが言い訳に終始していないか?というところが問われているのではないか、と思うのである。

(続く)

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