マンガで申し訳ありませんが、漆原友紀の「蟲師」というマンガがあるのですが、その中で、「綿胞子(わたぼうし:原文ママ)」というお話しがあります(単行本では第2巻)。
子供を望む若夫婦に、ある出来事の後、奇妙な形で子供がたくさん授けられますが、子供が増えるにつれてだんだんとその子供達に奇妙なことが起こり始めます。実はそれらは人間の子供ではなく「異形のもの」であり、「本体」が存在して子供に見えるそれらは全て本体の枝葉であった、というようなお話しです。その中で「本体」が存在することの傍証として、あることを一人の子供だけに教えたはずなのに、他の子供たちがほぼ同時に習得しやり始める、という事例が示されます。
我々はスタンドアロンな人間であり、「本体などいない」はずですが、「ネット」という一大データベースの影響が、行動様式、あるいは考え方に次第に大きな影を落としつつあるような気がしてなりません。
ダークな面では、牛肉あるいはピザの返金があると聞けば(利用してもいないのに)他県からそれに群がる人たち、桁を間違って価格が安く表示された商品のサイトに修正する間もなくあっという間に注文が殺到する事例とか、NHKの集金を間違いなく断れる方法(口実)とか、ある商品の欠点に関する示し合わせたようなクレームの殺到、「学校裏サイト」とか言うらしい新しいイジメ情報の共有、など。
いずれも、日本人に「恥」はなくなったのか、とも言いたくもなりますが、ネットでころがっている個人の体験や口コミが何らかの形でリンクして雪だるま状に膨らみ、それらが実行に際して実行者を勇気づけている、というプロセスは容易に想像できます。
検索ができるサラリーマンはデキルサラリーマンみたいな本が一瞬流行したように、情報の流通量が莫大に増えた昨今、全てを頭の中においておくことは不可能であり、いっそのこと諦めてネットを「外部記憶」として活用するのは悪くないと思います。
但し、匿名であることによる正しさもあると信じたいですが、匿名であることにより強調される面もあるはずで、仮に流されるとすれば、その方向は表面的な「快」「楽」の方向であることが多いと思います。情報収集→分析・判断→行動というフローに際しては、個々人の恥の意識、あるいは美意識を確固たるものにしておく必要があると思います。
もちろん暗い面ばかりではなく、個人の知の統合と言う点で、ネットでの情報共有によって我々に計り知れない恩恵をもたらしていることは疑いはありません。また、出た当初は「検索から除外して欲しい」とまで言われた「ブログ」も今やマーケティングの対象として研究され一般化し、ネットの「風評」から大ヒットにつながる商品が生まれたりしていますし、Web2.0とか言うように消費者の声を双方向に反映し、「レビュー」、「口コミ」の形で情報を補完し、消費に対して有益な情報を提供している事例もあります。(専門外なので的はずれあるい一面的だったらご容赦下さい。)
趣味の木工の世界も、今や国内では雑誌の類に期待できるところは残念ながら少なく、ネットがなければ情報が得られない状態になって久しいです。その中でユルい「木工ネットワーク」のようなものは不確かながら存在し、その中で技術、ノウハウや商品の口コミ、その他もろもろの情報は、実はその中でほぼもれなく全員に近い形で共有されているようなそんな気もします。
アマチュア木工家に悪い人はいないと信じていますので、ニセ情報は(ほとんど)ないはずなのでその点は安心していますが、自分自身が「枝葉」ではないかとふと思ったりして、ちょっと奇妙な感覚に陥ることがあります。誰かが「KERVの新しい旋盤」とかつぶやくと、「ああそれ知ってる」、「チャックはMT2だっけ」とかそういう感じ。(情報源が限られていると言うだけかもしれません。)
私のような無名の趣味の木工家あるいは工具収集家(笑)が、エラソウに「自己表現」できるのもその仕組みがあればこそであり、その中身(コンテンツ)は、「同じ失敗をしない」という程度には何らかの形で誰かの役に立っていると信じたいと思いますし、間違ったことを断定的に書くことだけはするまいと思う次第です。
ところで漆原友紀の「蟲師」はお勧めです。ビデオも良いです。
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